2011年11月30日水曜日

〔ホンダ〕最高にちょうどいいコンパニオン






早川徳次(1893 - 1980)

1893──東京の下町に生を受けたが、母親が病弱
1895──口減らしのため養子に出されるが、養母にいびられまくる
1900──養母が「お前は小学校には行かせない」宣言。超重労働家事をミスると飯抜き
1901──ある盲目の女性の紹介により丁稚奉公に出るが、養母がタカリに来る
1911──18歳で独立、ここでようやく両親が他界していたことを知る
1912──実の兄と対面、兄弟で会社を設立。独立資金50円の内40円は借金
1922──働きすぎによる過労で倒れる。血清注射による治療であやうく命拾い
1923──関東大震災発生。ここでも九死に一生を得るが、妻と二人の子供は死亡、
工場も焼失。債務返済のため各種の特許を売却。再び一文無しとなる
1924──新天地・大阪で会社設立。旧従業員数名が手弁当で無理についてきた
「給料を払えるかどうか分からないんだ、東京のほうが復興需要で仕事があるぞ」
「社長、誰が給料欲しいなんて言いました?」
1948──物不足と金融引き締め政策により経営悪化
「可愛いお前たちのクビを切ってまで、会社を存続させられない。
再就職先は死んでも俺が見つける。心配するな」
「社長、この会社が無くなるぐらいなら、それこそ死んだほうがマシです」
1950──倒産の危機。なのに盲人を雇うための会社を設立。
「あのときあの盲目の女性から受けた恩を忘れたら、俺は人でなくなってしまう」
従業員もなぜか賛成「それでいいんです、社長。それでこそ社長とこの会社です」
1962──まだ会社は油断できない状態なのに福祉会館を設立。
「人を愛することは、自分を愛することと同じだ」 従業員もなぜか賛(ry

1970──社 名 を 「 シ ャ ー プ 株 式 会 社 に 変 更 」